2018年04月22日

交換留学

 乳国にも留学で来ているわけだけれど、乳国の状況に多少慣れ、教育環境のいくらかの物足りなさも感じている中で、もう一つ違う環境に子供たちを触れさせることができれば、という思いはずっとあった。乳国でも、地域によっては、あるいは学校によっては、もっと国際色豊かで、かつそのことをプロモートするところはあるらしいけれど、タウランガはもちろん、北島でそういうところがあるとは聞かない。

 学生の間にそんな機会があれば、と思うものの、留学生である身では、せいぜいホリデー中に自力で海外旅行にでも行くよりないだろうとあきらめていた。ただ旅行では風景のちがいを見るだけになる可能性も高く、文化や考え方の違いに触れる機会は少ないので、そのために忙しい旅行に行くのも費用対効果的にはあまり魅力もなかった。


 ある日学校からもらってきたパンフレットを見ると、それは乳国の会社が提供している交換留学生プログラムのものだった。交換留学なので、海外で勉強した期間も乳国での出席扱いとなるものである。選べる国の選択肢はそれほど多くなかったが、イタリアやドイツなどのヨーロッパ数か国も含まれていた。問題は、よくあるように乳国市民ないし永住権保持者以外が参加できるかどうかで、ざっとみたところでは何も書いていなかったが、確認のため問い合わせをしてみた。

 会社としては排除するものでもないのだが、受け入れ側の確認が必要だということで1週間ほどかかって、ようやく参加は問題ないという返事をもらうことができた。その直後に、タウランガでの説明会が開かれるということで、オーケストラに遅刻しながら早速出かけた。市内の別の高校の図書館で行われた説明会に来ていたのは、ほぼ女子高生とその親だった。最初に受付で連絡先に加えて、希望する国を書く用紙があったのだが、意外なことに多くの子供たちはアメリカやカナダを希望していた。地域性はあるにしても、言語も通じるし、アメリカに2ヶ月行ってもそれは留学なのか旅行なのか、微妙なところではないのか・・。日本のように島国の乳国は、外から入ってくる人は多いが、オーストラリアを別とする海外にはあまり関心が向かない向きが多いように感じている。


 乳国の学校自体は無事に終了させたいこともあり、長い夏の(北半球の冬)ホリデー期間を含めての3ヶ月を希望しているのだが、まずは通っている学校の了解がいることに加えて、学生ビザで滞在している身としては当然乳国の移民局の了解も必須である。

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大根にもモンシロチョウがつくなんて・・(><)
筋ばかりになっちゃったけど、復活するかなぁ・・

がんばれー
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posted by ふにゃこ at 08:30| Comment(2) | 学習編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月15日

世界史

 子供たちの勉強のカバーに、と、スタディサプリというサービスに加入している。小学生から受験生まで、塾の授業のような動画とテキスト、確認テストが受けられる。日本の学校の授業をかなり評価している私にとっては、乳国の学校では教えてくれないか、教えてくれても断片的だったり、知識として定着するところまで理解が深まらない部分をがっつり押さえてくれるのと、やはり自分で教科書を読むだけではなかなか頭に入ってこないことや、苦手な範囲をレクチャーしてくれるので、よく出来ていると思う。
 動画を見るのは当人たちにまかせるよりないのだが、やはりじっくり動画をながめるのは多少時間もかかるので、ゆっくり食べられる夕食のときに(それでも週に数日しかないのだが)しばしば見るようにしている。特に、学業や音楽活動で忙しくなってきた長女の課題が多いのだが、しばらく前から世界史の講義を見ている。
 他の先生たちのいかにも日本の授業らしいものに比べて、この先生は異彩を放っていた。話し方も独特だが、内容が実に興味深い。高校で世界史を選択しなかったこともあり、ローマ史や中世前後のヨーロッパ史は、複雑に民族や国名がからまり、断片的には聞いたことのある事件や人名はたくさんあるのに、それらが混沌としていた。大人の歴史本は、そのあたりをある程度押さえた人が読めば、知識や理解も深まるところだが、それが時系列上のどこに位置するのかがはっきりしていないものにとっては、助けにならない。
 どなたかも言っていたが、新しいことをざっくり学ぶには、高校の教科書はとても役に立つ。世界史も、授業であれば、大きな柱について時系列で説明してくれるので、歴史的事件や有名人の位置関係や流れがとてもよく分かる。また、これは大人になったからなのか、友人知人にいろいろな地域の出身者が増えたからなのか、両方だろうけれど、そうした歴史と現代社会の現象とのつながりが見えてくるのも面白い。今だけを見ていると、このようなのだけれど、歴史を紐解くと、なんだ、同じことの繰り返しではないか、とか、長い長いというけれどそれは事実ではないではないか、というように。

 私の世代は自虐的な歴史観を教えられていた。それは嘘や思い込みもあるのだろうけれど、多分に、世界史を見ずに、単純に短期的な流れをいくつかの現在の国同士の関係で見るようにしたいたからなのではとも思う。それはまさに井の中の蛙すぎた。第二次大戦後から続いていた資本主義化は行くところまで行っていて、それは世界を貧富というキーワードで二分することにし、技術的な進歩によって爆発した人口増加と移動手段の進歩で、人種の大移動が起きている。当然モラルも崩れ、ある程度整いつつあった政治的枠組みも怪しくなり、きれいごとが通じていた世界はだんだんと過去のものになってきているように見える。
 最近、世界では、国際的に見ると、海外からは、という枕詞では、大抵日本はダメ出しされているのだが、この世界史を見ていると、日本は確かにちっぽけで、世界の潮流からはいつもはずれるか、うまくかわすかしてきて国際摩擦も起きるのだが、その独自性は際立っている。受験課目になってしまっているために、だれもが学ぶ機会がないというのはあまりにもったいなく、「国際化」のために英語などを必須にするよりは、歴史を学んで、必要があれば英語を後から学んだ方がよほど意味があるだろうと思えてならない。

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ひょんなきっかけで仲良くなったヘザーさん宅で
午後ティー。子供たちの学校の近所なので、
アクセスもよし。

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ドイツ人のインガにヘザーさんがいろいろと
乳国料理(イギリスオリジンだけど)をレクチャー。
イギリス人も同席していたので、スコーンの食べ方に
ついての議論についてもレクチャー^^

これをレクチャー^^;
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posted by ふにゃこ at 15:53| Comment(0) | 学習編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

差別なのか

 土俵上で女性が救命措置をしていたことを問題だとしたことが問題になっているようで、乳国のニュースでもこの件が紹介されていた。予想されたように、さまざまな意見が噴出していて、収拾がつかない状況になっていた。
男女はあらゆる場面で同じように扱われるべきだ、と考えている人たちは、当然のように、そもそも土俵に女性を入れないのは差別だ、前時代的だ、と怒っていた。私も、性によって無意味な区別は必ずしもされなくてもよいと考えているし、以前はその人たちのような強硬な考えも持っていたので、なぜ怒っているのかは理解できた。とはいえ、だから土俵の上で男女は同じように扱われなくてはいけないかどうかは、相撲に関わる人や土俵に上る人が決めるべきことであるとも思っている。
 けれども、もしも自分だったらどうしていたか、と聞かれれば、相撲関係者であれば、こういう場合にはどうするのかを取り決めようと思うし、救命措置をしなくてはと思えば、たとえあとで塩をまかれようとも措置を続けただろうと思う。例によって、「差別」かどうか、という観点ではあまり考えないようにしている。

 ここまでは前置きで、ドイツ人と乳国人と話していたときに、乳国人がイスラム教徒に対してかなり偏った見方をしていてびっくりしたのだが、ドイツ人もドイツに移民した大勢のトルコ人によって、ドイツ人の男女平等のルールを脅かされているのだそうで、彼女もイスラム教をかなりネガティブにとらえていた。排他的で残虐な点では、キリスト教も負けてはいないのではともひそかに思っているのだが、彼らが問題にしていたのはこの場合は、男女の取り扱いについてなのだった。
 女性を家庭に閉じ込め、現地の言葉を習う機会をもたせず、小さな息子が幼稚園に入れば、女性の先生の言うことを聞かず、王のように振る舞うことが問題になることがある、という。似たような問題が、実はタウランガのインド人の家族にもときどきあることは、ShaktiというNPOの活動から聞いたことがあった。
 確かに現在の欧米社会の一般的な見識でとらえれば、「女性の権利」を制限しているし、ヒジャブなどはやはり男女差別のシンボルであることも想像はつく。イスラム世界で暮らしている分には、それは全体のシステムであり、その世界を構成している人たち自身が決めていくべきことではあるのだが、場所が欧米社会の中となると、やはりときどき文化摩擦が起きてしまうのだ。そんな話をするとヨーロピアン系の人は大抵、primitiveだ、と表現する。
 ドイツ人の本音は、ここはドイツなのだからドイツ流のやり方に従うべきだ、というところなのだろうけれど、一方で思想の自由や、他人の迷惑にさえならなければいくらでも主張可能な「人権」というアイデアを採用しているので、強く言うことが出来ないのだ。それが移民に対する強い反発を生んでしまっていることは実に皮肉なことで、対立はますます深まっていきそうな様相である。

 人類史において、大きな民族移動は何度も起きたわけだけれど、このような文化摩擦も当然起きたのだろう。多様な価値観、というのは、「どうでもよい」ことではなく、違う価値観の相手とどのように共存するかを考えることなのだろうと思う。日本は移民・難民の受け入れに消極的で、今後はもっと門戸を開放しなくては、という人たちが特にリベラルを中心にいるのだけれど、文化や宗教が違いすぎる人たちとの共存に対して、これまで「消極的」だったために、ずいぶんとポジティブな幻想を抱いているのではと思う面もある。東アジアからの移民はともかく、それ以外の人々が肩身の狭い思いをしながら暮らしているの図は、彼らが非常に少数だからなので、人数が増えてくれば社会的な発言権も増し、社会の構造も一変するだろうと思っている。自分の国で自分がマイノリティになったときに、それでも寛容でいられるのだとすれば、その寛容さは本物なのだろう。

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いつものお茶会メンバーでOmokoroaでピクニック。
知った顔や子供たちもいたのに、日本人はやはり
交わらないのかな・・コミュニケーション力をみがいて
ほしいのに。

ほしいのに^^;
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posted by ふにゃこ at 08:40| Comment(0) | まじめな話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

イースター

 5年前に比べるとイースターはかなり変貌した。私にとってはイースターは、教会できれいなゆで卵をもらい、教会の中庭でいつもよりも多少多い人たちが、イースターおめでとうございます、とあいさつする日だった。教会の英語レッスンに行っていたときには、いつも聖書の一場面を抄読するのだが、新年度に入るとイースターに向けて、キリストの受難までの場面を毎年繰り返し習い、慈悲深くて上品なおばあさんたちが、ひどいユダヤ人が、とか、まったく愚か者のユダが、とやや強い調子で言うのが、おかしくもあり、伝統的なキリスト教世界にとって、ユダヤ人とか、裏切り者に対する厳しい目を今更ながら実感もした。
 そのころはまだイースターの期間中(多分4日に渡って、ひょっとすると3日)店が閉まっていたので、買い物は済ませておかなくてはならないし、直前になると大勢の人が一斉に店に殺到するので、ごったがえすのだ。大勢の人間が集まるとき、世界の多くの人は、良くも悪くも日本人のようには統制がとれていないので、周囲の人の動きがうまく読み取れずに戸惑うこともある。だからそういう人混みは避けるようになってきた。
 ところが国勢調査でも、宗教的な人が激減し、キリスト教徒も高齢者ばかりになってきて、自然と、イースターでも店を開けてほしいという人が増えてきたようで、毎年議論になってはいたのだが、ついに今年からはイースターでも、金曜日をのぞいては開店することができるようになったのだ。旅行に出る人も多いから、店が開けられることは消費者にとっては便利だし、小さな店舗にとっては書き入れ時でもあるかも知れない。

 今や24時間営業を見直そうということで苦労している総ブラック企業社会である日本から見ると、消費者の利便性と企業の利益を追求していくと、サービスはどこまでも過剰になっていき、どこかで息切れしてしまう日がくるのだから、現状で満足する方がよいのだろうにな、と思わざるを得なかったりする・・・
2年ほど、イースターホリデーが学校の秋休みと重なってしまい、休日のありがたみが今ひとつだったのだが、今年は恒例のフェスティバルも欠席し、のんびりとしたイースターを堪能している。

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イースター前のお茶会。ほぼ同世代の気の合う
メンツで、楽しかったなー

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ロータリークラブの古本市。最近は大きな倉庫を借り切って
大掛かりにやるので、人も大勢来ます。開場前からこの行列。
今回はDVDの収穫がたくさんありました^^

クリックの収穫も^^;
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posted by ふにゃこ at 07:57| Comment(0) | 生活編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

文体

 長女が英作文に苦労している。書くことは書けるのだが、語彙不足のために同じ言葉が繰り返されてしまったり、なにか洗練された文章にならないのだ。そういうことをESOLクラスで期待したのだが、乳国あるあるで、大丈夫よ、よく出来ていますよ、というばかりで役に立たなかった。
 高校の学年になり、プレゼンテーションやエッセイ(小論文)を書く機会も増えてきたのだが、今度の先生は、これでは良くない、イケていない、とダメ出しするばかりで、ならばどういうお手本の文章があるのかというsuggestionもないので、悶々としていた。

 また、今年から中学生になった末っ子の今学期の成績が早くも送られてきて、作文については担任と面談してください、というお知らせだった。作文がきらいで、日本語でもほとんど書かないので、たとえ友だちや先生の話が大体理解できる状態でも、やはり英語での作文はうまく書けないことは想像できた。
 そこがやはり、ネイティブとの大きな壁でもあるのだが、それでも良い文章に触れて、取り入れて使っているうちにだんだんとこなれたものが書けるようにはなってくるものだ。私は年配の英語ネイティブとの付き合いがあるので、ときどき、なんて優しい言い回しをするのだろう、と感心することも少なくないのだが、なにしろ会話での最中なので、聞いたときにはそう感じても、その瞬間にメモをとるなどして記録しない限りは、なかなか定着しないのが悩みどころだ。ボランティアで行っているHeart Foundationのミーティングでは、毎回トーンの優しい、そして上品な表現が飛び交っていて、言われた内容よりも、その言い回しに感動しているのだが。

 英語のドラマや、投稿記事などを見ていて、知らなければ絶対に出てこないが、言われてみればあっさりしていてうまく言うものだと感心していると、あぁそれ、先生がよく言う、とか、けっこう聞く、などと子供たちも言うのだが、ならばそれを発信できるかというと、それは別問題なのだ。パフォーマンス・アートを見ていて、目の肥えた視聴者はあれこれと批評もできるのだが、ならば自分で出来るのかというとそれはまったく別なのだ、というのと同じである。

 ともあれ、子供たちの作文をどうにかする必要があるのだが、正直なところ、学校の先生に何かをお願いしてカバーしてもらうことは期待できないし、ネイティブならばだれでもできるというものではもちろんない。ふと思いついて、CafeTalkの英語講師を探した。長女は、これまでに書いたことのある文章などのプルーフリーディングをしてもらうことにして、末っ子には、短い文章の校正レッスンのようなものをトライしてみようと思っている。

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我が家のプロバイオティクスたち。ぬか床、ザウアークラウト、
ジョンにもらったヨーグルト床と、それで作成中のヨーグルト・・
日本の漬け物容器が便利です^^

これも便利な^^;
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posted by ふにゃこ at 07:31| Comment(0) | 英語ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする